丁寧な大騒ぎ

想いが今 クリアになっていく

デジタル・デトックスをしよう(2.どこからスタートしよう?)

 こんにちは。前々回の記事からすこし日が空きましたが、続きを書きたいと思います。どうぞお付き合いください。

 

 そういえば、断捨離の話をしたのはこれが初めてではないということを、ほんのつい最近思い出しました。前に書いた記事を読み返しては「アレアレッ!?文章へたくそだなッ!?」となりがちなのですが、あまり考えていることが今と変わっていませんでした。ちょっとびっくり。ひさしぶりに読みたい方、なんだそれは読んだことないぞという方はこちらからどうぞ。

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 デジタル・デトックスをしようと思ったきっかけは『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』(カル・ニューポート著)を読んだことでした。ゴールデンウイークも終わりに近づく5月5日の夕方、わたしは電車の中で読み終えたこの本に大衝撃を受けました。

小ワザだけに頼ってデジタル・ライフを根本的に改善するのは難しい。

厄介なのは、新しいテクノロジーをめぐる大きな問題は小さな変化では解決できないことだ。

 

 デジタルに囲まれているこの生活を脱することなど到底困難な現代において(だってわたしは今パソコンを使ってブログを書いているのだから!)わたしは本当にデジタル・デトックスをできるのだろうか……。液晶画面から離れるべきだというのはもう、自分がよくわかっているのです。一日中パソコンに向かう業務をこなし、通勤中や帰宅後もスマートフォンを触り、ときにはテレビも見る。一時期はテレビドラマを数本掛け持ちで毎週視聴していました。ひどいドライアイを目薬でなんとかかわしているこんな生活だって本当は望んでいない。小手先の努力じゃダメなんだと思わせられた文章でした。

 

 ブログの記事タイトルは「デジタル・デトックス」だけど、本当のところはその先の「デジタル・ミニマリズム」を見つめたい!

 だってかっこいいじゃないですか。スマートフォンに向き合う時間を減らせたら、きっちり自分をコントロールできる自立した人という感じがして。「スマートフォンを持ったらわたしはダメ人間になる」という自覚があったからこそ、どんなに不便でもどんなに周りから不思議がられても、大学卒業までスマートフォンを持たなかったのに。あの強い意志はいったいどこへいってしまったのだろう?いつも欲望は姿かたち、色を変えてはわたしを蝕む。そろそろ治療が必要な頃合いです。

 

 これは余談なのですが、わたしの将来の目標は時間に左右されない生活を送ることです。小学生か中学生の時に国語(もしかしたら道徳?)の教科書で読んだ、どこかのなんとかって民族は時計を持たないどころか時間の概念がないということに衝撃を受けました。それ以来ひそかにずっと憧れなのです……かっこいい……。せかせか生きたくない!

 

 

 さて、デジタル・ミニマリズムとは何でしょうか。筆者は次のように定義しています(突然の教科書調)。

自分が重きを置いていることがらにプラスになるか否かを基準に厳選した一握りのツールの最適化を図り、オンラインで費やす時間をそれだけに集中して、ほかのものは惜しまず手放すようなテクノロジー利用の哲学。

 この哲学を採用した人々を「デジタル・ミニマリスト」としています。デジタル・ミニマリスト費用対効果を常に意識し、小さなチャンス(例えばおもしろそうだからとりあえず使ってみよう!と思い新たなアプリを使うこと)を逃すことよりも、人生を充実させると確実にわかっている大きなことをないがしろにすることのほうを恐れるのだそうです。ふむ。

 

 そして筆者は30日間で集中的におこなうデジタル片付けの手法を紹介しています。内容はざっくり以下の3つ。

①30日間のリセット期間を定め、必ずしも必要ではないテクノロジーの使用を休止する。

②この30日間に、楽しくてやりがいのある活動・行動を探したり再発見したりする。

③休止期間が終わったら、休止していたテクノロジーを再導入する。それぞれにどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを考える。

 

 

 わたしはまず初めに、スマートフォンの画面整理を行いました。以前、不要なアプリを削除したり画面上でまとめたりして(個人的には大がかりに行なったつもりでした)そこまで散らかっていないだろうと思ってはいたのですが、改めて。

[整理前]

・1画面目 14アイコン14アプリ

・2画面目 7アイコン31アプリ

・各画面共通ページ下部 4アイコン4アプリ

[整理後]

・1画面目 4アイコン4アプリ

・ページ下部 4アイコン4アプリ

 

 使っていないアプリはほぼなかったのですが、週に一度も使わないようなアプリやスクリーン上に常に表示されていなくても困らないアプリは画面上から削除しました。これらは使いたいときにだけ取り出す方式にしても差し支えないだろうアプリということです。

 

 読了後はアプリごと削除するつもりでしたが、怖気付いて(笑)まずは画面から消すことに。画面を最右にスワイプすると、全アプリがすぐ出てきますし、そこでは簡単に検索できるので便利です。とにかく画面をすっきりさせる!!!

 

 ほんとにすっきりしました……。これでスマートフォンを起動させても心が穏やかになれます。すごい。ちなみにわたしが残したのは「写真」「メモ」「Safari」「設定」といった当初から搭載されている機能のほか、睡眠アプリや植物図鑑のような使用頻度の高いアプリです。植物アプリは写真を撮ったらそれが何のお花であるか教えてくれます。おかげでてらにっしに載っているお花も判明したので寺西くんとの会話にも困りません。

 

 

 また、Twitterで「デジタル・デトックスをします」と宣言。宣言するためにTwitterを復活させて新しいアカウントを立ち上げたようなものです(Twitterを再開してもいいなと思ったひとつめの理由は前回の記事を参照ください)。……ちょっと長くなりすぎましたね。ここまで読んでくださってありがとうございます。上記以外の運用と、一番重要なその結果については次回以降にまた持ち越しです!では!

 

 

注)挿入写真は無料サイトからダウンロードしたフランスの写真です

友人との対話

 向かい合わせになって友人とおしゃべりをするのはとても有意義でとても幸せだと感じることが続いたので、その話。今日書くのは2例だけだけど、余力があったらあと2例追加で書きます。

 

 

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4月某日

 友人Yとのランチ後に訪れた喫茶店で、彼女の近況を聞く(ランチは食べるのにお互い必死だったので、あまり会話らしい会話をしていなかったのだ)。彼女は最近試したというある働き方を教えてくれた。曰く、毎日半日だけ働いてみたのだという。それも会社でも自宅でもスタバでもサテライトオフィスでもなく、とある地方都市にて。いわゆるワーケーションというやつだ。リモートワークが主流となってきている中で、リモートワークが推奨されている会社に彼女が勤めているとはいえ、実際にその働き方をした人から感想を聞いたのは初めてだった。

 

 ワーケーション申請でも出したのかと思ったが、そうではなかった。たまたま仕事量が多くない時期だったこともあって「単に毎日半休とっている人になっているだけだよ」と笑っていた。なるほど新しいし、おもしろい。行ってみたかった町に平日に行けたことを彼女は喜んでいた。そして「こういうお店好きだと思うんだけど」と家具屋の店内を写した一枚の写真を携帯の画面に表示させた。特に彼女と家具や雑貨の話をしたこともなかったので驚いた。しいて言うならその都市とは別の町の(地理的感覚がわからないが同じ県内の)ある雑貨屋に行ってみたいという話で一回盛り上がったことがあったことと、わたしがお気に入りの椅子の写真をインスタグラムに載せたことがあるというくらいだ。すごい。その家具屋を訪れたときに思ったのか、わたしと会う直前に話をしようと思いついたのかはわからないは知る由もないが、ただただ嬉しかった。誰かが日々の暮らしの中でわたしを想像したという事実をその誰かから知らされるとき、嬉しくて、あんまりにも嬉しくて、わたしはその事実をあたかも赤ん坊が離さない毛布のように握りしめて心の糧にする。

 

 そして彼女との会話で一番面白かったのは、上述のワーケーションとは別に普段の在宅勤務時の朝の過ごし方を教えてもらったときのこと。筋トレをして、さらにそのあとでオンラインの英会話レッスンを受けるのだそうだ。それを「意識高いなって思うんだけど」と前置きして、でもけして自虐的ではなく教えてくれた(自虐的な人というのは、相手の反応がどういったものであれ、というよりは相手から返ってくる反応をあまりよくないものだとはなから決めつけて自身を鼻で笑い、ありとあらゆる神経を集中させまるで最適なフォローをするように自虐を言い放つ隙を狙っているものだ!残念なことにわたしは経験談からわかる)。意識高いなって思うんだけど、わたし。意識高いなって思うんだけど、これをやっているよ。意識高いなって思うんだけど、やりたいことだから。意識高いなって思うんだけど、やってるんだ……。

 

 実際はこんなリフレインの効いた言い回しを彼女はしていないことだけは念のため補足を入れる。そうだね、確かに意識高いなって思われそうなことだけど、かっこいいよ。意識高い。この「意識高い」は見下すときに使われる意味合いとは違うってこと、伝わるかなあ。自分に必要でやりたいことを見極め、選択し、実践し、それを続けようと努力できるというレベルが高くって、それがすごいと感じるということ。大企業に勤め、その前は偏差値の高い大学に進学し、留学もし、知識量も豊富で、インターネットの大海原で出会わなければリアルでは出会うことのなかった10数年来の友人は、いつだってわたしから見たら「なんかすごい頭のいいひと」なのだが、意識高いことやってるなと自分で分かっていながらもそれを続け、もしかしたら意識高いことをやっていると自覚することそのものが彼女を成長させ支えているのかもしれない。「まあ寝坊して時間に間に合わないこともあるんだけどね~」あるんだ。

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(手書きの伝票があまりにもお洒落だった)

 

 

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5月某日

 こちらも久しぶりに会う、別の友人Yと。この日は朝から完璧だった。こんなに余裕をもって家を出ることがあるのかというくらい余裕をもって家を出ることができた。忘れ物もしなかったし、駅まで走ることもなかった。元々入っていた用事も無事済ませることができたし、午前のうちにアイロン掛けまで終えていたし、マニキュアも塗りなおせたし(とっておきの紫のキラキラ)、彼女に渡す用のディスクにはダビングをしたし、彼女のほうが先にお目当てのカフェにつくことができそうということで並んでもらい待たせてしまったこと以外は本当に完璧だった。もっと時を戻して考えるならば、朝起きた時刻は彼女の誕生日の数字だったからもう彼女に会うために用意された日だと思った。

 

 久しぶりに会う彼女はこれまでとは異なるヘアスタイルで、とっても新鮮だった。いつもはかわいいオーラだけれど今はちょっと大人っぽくてすてき!(注:彼女のほうが年上)。髪型を変えたのは少し前のことだそうで、そりゃあ会っていない間に変わることなんてたくさんあるよなと思いつつも、新しい彼女を見れたことのほうが喜びは大きいのでこんなのはさみしいにカウントなんてされやしない。おまけに褒められて喜んでいる彼女も見れたことだしとてもよい。

 

 お目当てのカフェは常に大行列を成していて、インスタグラムに店名や町名とともにタグ付けされた写真にはそのカフェの名物のスイーツばかりが写っていた。わたしたちはそれを食べてみたくて、甘すぎるかもしれないという一抹の不安を抱えながらもオーダーをし、運ばれてくるのを待った。出来立てをサーブするようなスイーツでもないのにかなり待たされたので、わたしは何度もお水を飲んでいた。初デートで緊張する男子といい勝負だと思う。よく知らないけど。

 

 待たされたとは言うものの、その時間でたっぷりおしゃべりできたから本当のところは大したことじゃない。彼女がこれから観劇しにゆくその作品はわたしも大好きなのだけど、ある事情でわたしは暫く触れるのを避けていた。このある事情というのはただのわたしの身勝手な理由によるもので、まあ何かを避けようとするときの人の感情なんてすべて身勝手なものでしかないのだけれど、人に直接伝えるには或いはSNSで書くことは些か抵抗があり、事実わたしは数ヶ月その作品について無言を貫いていた。誰にも共感してもらえないだろうと思うたびに苦しくなってはいたけれど、醜い感情でもあったから、誰かを傷つけるかもしれないならそのままでいいと思っていた。何様なんだろう。

 

 けれど過去の観劇体験や考察やそれらから得られる高ぶる感情というのはけして噓偽りのないもので忘れたくない大好きなものだったから、彼女との会話で自然と話題にでき、そして過去はもちろん今感じていることについての話もするりとできてしまった。一人で悶々といやだいやだと言って閉じこもっていたのに。誰かに、それも今回のラッキーな事例でいえば話を理解してもらえる大好きな友人に、そうした感情ごと言葉に乗せて受け止めてもらえるというのはなんと幸せなことなんだろう。ただし自身の性格上、最初から感情の整理や分析などもせずに相手にぶつけていたら後で後悔していたはずなので、ある程度悩んでから話せたのが功を奏したのかもしれない。何はともあれよかった。彼女と話せてすっかり心が軽くなってわたしはツイッターを再開したのだった。

デジタル・デトックスをしよう(1.ミニマリストになりたい)

 理想の姿は声に出してこそ叶えられると思っているので、最近のわたしはよく友人に「ミニマリストになりたいんだよね」と話しています(そうしたらこないだ「そのイメージあるよ!そぱちゃんよく家の片付けしてるもん」と言われました。はっ、バレてる。いやいやこれは良い傾向、だよね!うんうん)。

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 どうしてミニマリストに憧れるかというと、一言でいえば「すっきり心地よく暮らしたいから」。こんなにもストレスフルな社会で生きていかなくてはいけない中、ノーストレスで、とまではいかないかもしれないけれど、ストレスは出来るだけ減らしたい。家をもっともっと好きな場所にしたい。

 

 ミニマリストってモノをすぐ捨てる人でしょとか、物欲がない人の究極の姿だとか、執着がないというかモノの思い出とかに関心がないんじゃないのとか、そう思われる気がするんですけど、というのもわたしもかつてそのように思っていたからなのですが、ミニマリストがモノを捨てるのはあくまで目的ではなくて手段なんですって。本当に自分の好きなモノだけで暮らすために選び抜いていくとモノが減っていく、つまり断捨離は手段として選ばれるだけであってモノが少ないという状況は結果論なのです。

 

 ミニマリストの定義や感覚は人それぞれですし、答えは恐らく出ません。いつになったら「わたしはミニマリストなのよ!」と人に堂々言えるのか見当もつきません。もしかしたらわたしがミニマリストであることは、誰かの評価ではじめて形を成すのかもしれないですし、わたしが宣言しさえすればそこがスタートになるのかもしれません。ひとまず今のわたしはミニマリストになるべく精進しているさなかであって、その立ち位置に何ら不満はないのです。いろんな情報を精査して、取り入れたいものを取り入れて、「わたしらしさ」を突き詰めたいなあと思っています。目標は家にあるモノすべてに所持理由を語れるようになること。こだわりがちなわたしの性格を生かすにはもってこいの生き方!(笑)

 

 二年ほど前は「シンプリストになりたい!」と思っていたのですが、シンプリストはミニマリストを経てから(あるいはミニマリストを目指した結果として)成るものかもしれないなというのがここ最近のわたしの考えです。別に部屋をすべてモノトーンに統一しようだとか、無印の家電しか買わないだとか、そんなつもりはまったくなくて。わたしは好きなモノや憧れのインテリアがたくさんあるので、もしミニマリスト指針みたいなものが仮に存在していたとしても従っていたかどうか怪しいですね……。だから「一日一つゴミを捨てよう」とか「服は何着以下にしよう」とか、そういうルールは設けていないです。だってめんどくさい。いや明らかなゴミはすぐ捨てろ。あ、めんどくさがりさんや掃除嫌いな人ほどミニマリストに向いているってよく聞きます。

 

 ちなみに、反対の意味の「マキシマリスト」を否定する生き方ではありません。そもそも誰も否定はできないはずだし。ただわたしは「マキシマリスト的な生き方」はもう選びたくないのです!つまり、迷ったらどっちも買っておこう、なんか微妙だけどとりあえずこれでいっか、いつか役に立つかもしれないから買っておくか……とか!とかとか!そういう「いつか」は一生来ないんじゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!すみません荒ぶりました。NO妥協。わたしはもう「100均だしィ失敗してもいっかァ」なんて言いたくないんです……100均のクオリティがどうのではなく買い物のマインドの問題です……。100円でも1,000円でも10,000円でもわたしが納得できる「わたしがそれを買う理由」がほしいのです。伊達にバターケースを買うのに何年も迷ってないのよ(これは迷いすぎだけど)。

 

 ちょっと話はそれるのですが、先日友人とランチしたときに、友人が「このお店に絶対また来れるという保証はないから、わたしは一番高いランチメニューであっても、そのとき食べたいものを食べることにしている」と言っていてうはぁぁぁっぁぁかっこいいいい!!!!と感銘を受けました。即座にわたしも真似しました。てへ。あと、「いつか/まだ使えるかも、まだ取っておこう」という感情はもちろんわたしにもあって、だから……タオルが……多いのや……だってタオルは最終的に雑巾として使えるじゃない……ごにょごにょ……むずかしいよね……うんうん……そぱお掃除すき……(あっそうですか)。

 

 

 

 とまあ、こんな日々を送っています。そんな中、先日「デジタル・ミニマリスト」にかんするとある本を読みまして。大衝撃でした。デジタル面においてもミニマリズムの考え方を持ち込むことは可能であるし、やるべき課題だと思ってはいました。それも喫緊の課題としてわたしの前に立ちはだかっていることも。ということで次回はここから書きたいと思います。

 

 

*

 

 

かるく なんでも 捨てられる この時代

すべて なにを やるのも 僕ら次第

だから 表現力 精神力 大事なのは自分のハート

光をあびて ときはなつ ぼくらのロケット そのちから

表現力 決断力 大事なのは自分のハート

嵐 『時代』(2001年発売)より一部歌詞を抜粋

 

わたしはこの曲を聴くたびに「何を参考にしたっていい、決めるのはわたしだ、わたしが納得してわたしのことを大切にしてわたしのために暮らしを整えよう」と思うのでした。

 

 

注)挿入写真は無料サイトからダウンロードしたフランスの写真です

睦月

大好きな友人が昔、ツイートから1ヶ月の振り返りをしていたことをふと思い出して勝手に真似する。1月のきろく。

 

 

文字お化けはずっと文字お化け!

アウトプットが少しずつできるようになってきてうれしい。最近学んだことは、スポンジのように吸収したってスポンジは水を溜めておくためのものじゃないんだから外に出さなきゃいけないという考え方。インプットは無意識にできるけど、アウトプットも息をするようにできるようになりたい。

朝活はフリート機能を使ってやっていたもの。一緒にがんばってくれる、楽しんでくれる人が何人もいて今も思い出すと嬉しい気持ちになる。

いつも「❤️」「🔥」を押して応援してくれたフォロワーさんのことも大好き。またやりたい。

 

実家の魔の巣窟部屋のお掃除たのしかった。お母さんへ、好きなように掃除させてくれてありがとう。あとわたしが帰ったあと、ゴミ出ししてくれてありがとう。

 

まとめ楽しかった!

 

ルルルンの青、おすすめ。

 

細かい計算してまとめる作業だいすき。家計簿〆るまで時間かかりすぎなんだけどね。

推し貯金は出だし順調です!寺西くんのおかげ〜。

 

味噌屋さんで買ってきた。最高だった!また行く!

 

やっと聞けました(笑)一回一回ストアにアクセスすると聞ける仕組みみたいです……めんどく……さい!!

 

やっと書けた映画の感想を誰かが読んでくださったみたい。うれしい。ありがとうございます。

 

マーダー最高だった!!!!良い観劇始めの機会を頂戴しました。そしてダブル・トラブルが懐かしくなるね。

 

目標立てたよ〜

 

まだ買えてない。なぜなら1月のチケ代があほみたいな金額になったからです(笑)しばらく大豆を摂ります(笑)

 

作ったことをもう忘れてた。えのきって美味しいよね。また作ろう〜。梅とか入れてみたい。

 

大根とかブロッコリーは茹でる度に感動している。きれい。

いま赤大根を食べているんだけど、その皮も鮮やかでかわいくて皮ごと茹でて食べてる。そしたら皮を捨てることの意味がよくわからなくなって、人参も皮まで食べることにした。ゴミが減った!

 

白米合宿、実現させたいな

 

卵かけご飯アカウントになってた

 

優馬くんのお誕生日!たのしかったな

 

これ延期になっちゃった あとググってはない

 

かわい〜ファン、まだ迷ってます……

 

図書館でDVDを借りました。見て本当よかった!

すっごくすっごく楽しかった。オードリー・ヘップバーンがかわいい。お衣装が信じられないくらいキュート。あと日本語訳も中々興味深い!

 

V6の曲に今またぐぐっとハマっていて楽しくてたまらない!

 

これはもっと勉強したいジャンル

 

グラ子さん、ようやく買いたいバターケースを決めました。誕生日までに買います

 

SHOCK妄想?っていつやっても楽しいよね

 

これ書いてて思ったけど「いつか〜」は結局いつまでもやらないのよね。いつやるか、を心決めて計画立ててゆきたい。できることから。少なくともわたしはわたしを幸せにするプロだし

 

このあとフォロワーさんに延々プレゼンさせてもらいました!!ありがとう!!

 

おさきはん

 

フレディがヤバい話

 

エリザベートもおもしろそう!

今年の秋はキンキーブーツ、ジャージー・ボーイズモダン・ミリー、そしてエリザベート狙いです!

 

ドライフルーツは気が狂ったように買って気が狂ったように食べるのがお作法なのです

 

次のお花も欲しくなっちゃうけどまずはこちらのカーネーションちゃんを愛す(どうでもいいけど語尾が「愛す」だと厨二感あるよね)

 

 

毎日足の爪を見てはひとりできゃいきゃい言ってるんだけどすごい、すーごいかわいい。

わたしの爪がいますーごいかわいいの、世の中に知られていないのか……独占スクープだよ。

おかげで「もしかしてアイシャドウたくさん買ってペディキュアと両立(?)させたらいいのでは!!」という危険な思想に発展しています。やばい。まだ理性はある。

 

 

楽しい月だったな!

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どうぞ末永く たくさんよろしく

寺西拓人くん、27歳のお誕生日おめでとうございます🎂

 

SODA11月号のインタビューに、寺西くんの好きなところがたくさんたくさん詰まっていたので今日はその話をしたいと思います。

 

かねてより口にしているけれど、わたしは寺西くんの考え方が大好きです。考え方も、伝え方も。「真っ直ぐ優しい」なんて簡単にまとめちゃったらもったいないくらい、でもそれでもそう言いたくなるくらい、素直で擦れてなくて、でもそれは単に純白とか無垢とかではなくてピリッとしたクセがあって、匙加減がいつも上手だなあと思っています。言葉選びが巧みで(言い回しにエッジが効いているとかではなくて性格がそのまま現れている使い方だと思う)、常にファンが見ていることを考えているという真摯な姿勢を崩さずにいて。そう見せているならセルフプロデュースがうまいし、誰かに言われているのなら素直に従っていてすごいなあと思うし、それが素だというのなら告白するかしないか悩んで悶々と暮らすくらいの近しい関係に貴方がいなくて良かったと思っちゃうくらいには好きです。

 

 

 

ジャニーズJr.からの卒業。

"(ジャニーズJr.)"が付くことで良くも悪くも守られていた部分があると公言できる強さ。あ、Jr.ってそこを意識しているものなんだ。それとも意識しているからJr.を卒業したともいうのか。Jr.という免罪符がなくなり、俳優と紹介されることも増えてきた今、どれだけの覚悟で持って戦っているんだろう。期待も不安も入り混じる中、愚直に実績を上げ続ける姿はいつだって眩しいし誇らしい気持ちにさえなります。大好き。

 

 

昨年、出演予定だったお仕事が何個か中止や延期になってしまって残念に思う一方、「じゃあ今からどうしようか」と気持ちを早く切り替えたこと。

すごいなあ。視野を多角的に持つことは、わたしが社会人になるに当たって個人的に課題と思っていたことですが、やっぱりそれができる人はかっこいい。

スケジュールが空いたことで出演できた作品があるだとか、タイミングやご縁にはすべて意味があるとか。かっこいい考え方だと思います。すべてをプラスに捉えて糧にするべきとは思わないし言わないけれど、意味付けは重要だよね。大好き。

 

 

下手でも成長過程をみんなに見てもらえるのなら、(趣味程度ではあっても)ギターも見せようと思ってくれること。

寺西くんってできないことないの!?と周りによく訊かれます(トマトが苦手だよ)。

歌もダンスもお芝居もできちゃう寺西くんがギター演奏を披露してくれたときは地球の自転が緩やかになっていてもおかしくなかった……。弾き語りが寿命を縮めて伸ばしてくれるなんて知らなかった……。

技術的なことはわたしにはわかりません。ひたすらかっこよくてとろけながらIsland TVを見ていたので(笑)

完璧主義のわたしは「成長過程を見てもらおう」と思って行動に移せる時点で尊敬してしまいます。強い。これが「成長したねとファンに褒めてもらいたいから、成長するのは前提だけど、よし!今から見てもらっちゃえ〜!」のような感情に端を発していたらかわいいな。大好き。

 

 

どの作品も同じ、大事な舞台。規模の大きい作品だからということで緊張の度合いが変わるのはおかしな話。

期待されててもされなくても気にならない。所詮、今の自分が持ってる実力以上のものは出せないわけだから。

ここ、痺れたなあ!帝国劇場に"帰ってくる"のはとてつもなくかっこいいし、否が応でもこちらは期待しちゃうわけだし、なんなら期待に期待に期待を重ねてそれを箱に詰めて装飾を施してその日を待っていたわけだけど(これができるのはわたしが盲目だからではなく、寺西くんがそうさせるだけの実力を持っているから)、本人は緊張するだろうなあなどと思っていたのにこう来たか、と。

規模が大きいと、単純に人もお金も時間もかかっているから、「(だからこそ)がんばってそれに見合うものを見せなくては」と意識して萎縮してしまうのはごく普通のことと思っていたけど寺西くんは違うんだね。自分ができることを、やる。そのシンプルさは性格によるものだとは思うけど、誰しもが身につけられる感覚ではない気がする。わたしにできないことができる、わたしにない感覚を持っているんだな、ってドキドキするくらい憧れます。大好き。

 

 

この性格のせいで自分が知らないポテンシャルを出し損ねているかも、ジャニーズの人のミラクルはかっこいいと思うけど、と言いつつ、

「それでも僕は役者として稽古でできるようにすべきだと思います。そのための稽古なんだから。ホームランの奇跡を期待するより、手堅くヒットで繋がるように準備しておくのがプロだと思うから。」

これは寺西くんを応援する中で絶対覚えておきたい、忘れたくない、トップスリーに入るかもしれないくらい好きな考え方です。ひっくり返るかと思った。好きすぎて、できもしない三点倒立できたかと思った……できてないけど……。

"好き"を直でくらった途端に上手く言えなくなるの、恥ずかしいのだけど、好きすぎて涙が出そう。この考え方こそ寺西くんだよね。寺西くんを理解する寺西くん、のファンになるよ。つまりどう転んでも寺西くんのファン……えへへ。大好き。

 

 

とにかく自分は場数が足りてねえわっていうのを痛感して。いつまでも20代じゃないわけだし、今ちょっと無理してでも場数を多く踏むべきでは?

自分だけ手加減してもらっていることが作品全体に影響しかねないことになると危惧し、仕事を増やしてほしいとマネージャーに電話したお話がありました。

検察側の証人』の舞台のお仕事がかなり寺西くんに大きな影響を与えているんだろうなあというのは、日々てらにっしを読んでいて節々に感じてはいたのだけど、やっぱりかなり意識の変化があったんだなあ。

個人的にはやみくもに数をこなすより、質の高いものに触れるとか、自分で質を上げるとか(それこそ意味付けによって)、そういうことを求めてしまう。けれどそれ以上に「わたしは自分の希望よりも、寺西くんが何を選んでどう飛ぶかを見ていたいし肯定したい!」という気持ちの方が強い。

 

だからどんなジャンルのどんな世界が自分に向いているのか探りつつ、来るものは何でも受けるスタンスだと言い切る野心溢れるその姿を頼もしく思います(わたしはこのスタンスも野心がある証拠だと思っています!かっこいい)。

しばらくはそのスタンスでやって、他者からどのように評価されるか見ていきたいだなんて達観していてすごいよ。評価するのは自分じゃない。そうだけど、そこの折り合いを既に付けているのはすごいよ!また応援し続ける楽しみを与えてもらっちゃった。大好き。

 

 

これからも寺西くんの好きなところをたくさん見つけていきたいし、見つめていたいなあ。

まだまだ好きの度合いはわたしの圧勝で、そこは寺西くんに譲れません!

たくさん笑ってたくさん幸せを感じられる、そんな歳になりますように。お誕生日おめでとう。大好きだよ。

 

 

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耳飾り/Nくんの話

 

■耳飾り

 ピザ屋のお兄さんはびっくりしたかもしれない。配達先の受取人がしっかりお化粧をして髪を整えている女性だったら。この人は今からお出かけをしそうな格好をしているけれど、その格好でピザを食べるのかと。注文ボリュームからして複数人とシェアをするようには見えないし、部屋からは誰かほかの人の声は聞こえないし。とりあえず配達遅延を謝って、さっさと帰ることしか考えていなかったかもしれない。

 

 ピザ屋のお兄さんはびっくりなんてしていなかったかもしれない。配達先にはいろんな人がいる。必ずしも家族や恋人や友人と食べる人たちだけがピザを注文するわけではないし、食事の用意が面倒になった代わりに宅配ピザで済ませようとする人ばかりではないし、家から出たくないとズボラな格好でいる人だけが利用するとは限らないだろうから。どんな人であれ、ピザを届けることが任務。配達遅延を謝って、さっさと帰ろう……。

 

 

 マスク生活が長引いている中で気づいたことがある。耳への負担が、多すぎるのだ。マスク、眼鏡、ウォークマン(イヤホン)。ここにイヤリングを追加したらわたしの耳はわたしの心に似て打たれ弱いのですぐに疲れること間違いなし。

 帰省するたびに、部屋の主は自分だと主張するような立派な体つきで堂々と居座っているぬいぐるみ(どでかピヨちゃん。今年20歳になりました。とってもかわいい。ヒヨコも時には大人になる)に話しかけるわたしは、比喩でもなんでもなく、耳にもメンタルがあると思っている。実際に声は聞こえないが、わたしの耳はなんらかのアピールはしているわけで(要は体の不調)、メンタルがあるというのは当たらずとも遠からずと言えるだろう。

 

 

 話を戻す。わたしがイヤリングをつけるのは、誰かとお茶をするとかコンサートに行くだとか、そういうときだけであって、要はわたしにとっては非日常の小道具のひとつだった。ネジバネ式は耳を痛めるから長時間付けられないし、ノンホールピアスタイプはゆるいのか落ちやすくてハラハラするし、とにかくイヤリングと上手に付き合えていないということもあって普段使いができなかった。

 

 でもわたしが持っているイヤリングは、わたしのお気に入りのイヤリングだ。(イヤリングに限らず、わたしが持っているのだからそれはわたしのお気に入りだ、と言えるモノが増えてきて嬉しい)

 お気に入りなのに全然使えていないのは悲しい。ここで「これまで普段使いをしてこなかったからとはいえ、普段使いをしていけないものではない!」と気づき、早速イヤリングをつけてみた。とてもかわいい。今日わたしは家にいるからマスクもしないし、イヤホンもつけていない。お出かけのときより耳への負担は少なくて済む。

 

 しっかりお化粧を施し、髪を整え、好きな服を着て、耳飾りまでつけて宅配ピザを食べる。すべては自分のために。とっても良い休日にできたなと思った。

 

 

 

■Nくんの話

 Nくんという同級生がいる。彼とは一度しか同じクラスにならなかったし、普段から仲良く話をしていたほどの近しい間柄ではないが、彼の気さくな性格もあってわたしにとって話しやすいクラスメイトの一人だった。あと彼は柔らかく笑うところがとても良い。

 それ以上に彼を特徴づけていたのが学力だった。Nくんは学年トップの秀才で(常に勉学に励んでいた彼は天才ではなく努力家だと思っている)、そして日本でトップの大学に入学した。

 

 先日、かつてのクラスメイトたちとオンラインで再会した。それぞれ卒業から現在までの自己紹介をする。Nくんは日本でトップの大学に入学したあと、きちんと卒業し、詳細は個人情報となるので記載しないがわたしとは全く違う道でわたしにはできないことをしている。Nくんらしいと評せるほど「Nくんらしさ」というものは分からないが、良いなと思った。憧れや嫉妬ではなく。ひけらかさない感じもまた良い。

 

 Nくんが今も変わらずわたしにとってすごい人でいてくれることが何より嬉しかった。Nくんには敵わないなって何年経っても思えたことが嬉しかった。すごいとかさすがとか、彼はたくさん言われてきていると思うけど、やっぱりすごいしやっぱりさすがって思ってしまう。

 わたしたちが出会ったのはもう10年以上前のことで、10年あれば人は簡単に変わるし変わらないことなんてありえないけど、「変わっていても変わらないことがあるんだな」と改めて気づくことのできた素敵な時間だった。

 

 

 おまけ。

 とあることを覚えているという話をしたとき、「そうだっけ!(笑)」「あ、そうかも?(笑)」という空気の中、「そぱちゃんがそういうなら間違いないな!」とNくんに言ってもらえたことが嬉しかった。Nくんは誰のことも見下さない人だけど(なのに時々しれっと毒を吐くおもしろさがある)、対等になれた感じがして嬉しかったよ。当時Nくんに名前で呼ばれていたか覚えてなくて、そぱちゃんと呼ばれてびっくりしたのは秘密です。わたしが覚えていないだけだったら悔しいので、やっぱりびっくりしたけど嬉しかったこともあわせて秘密です。

好きな服と暮らすこと

 外出自粛によって時間ができたこともあり、昨年の春ごろに断捨離をしました。その後引越しをしたことで、ますます身の回りのモノに意識を向けて暮らすようになりました。

 

 引越し準備で一番衝撃を受けたのが、携帯で撮影した部屋の写真です。「なんてごちゃごちゃした部屋なんだ!」と驚きました。写真で客観視することによって、目を背けられない現実をつきつけられた感じでした。人よりは物が少なく、片付いている方かなと思っていたのですが……。

 

 当時のわたしの部屋の写真を見て、もしかしたら「いやいや自分より片付いているよ!」と言う人はいるかもしれませんが、「こういう部屋に住みたい!」と言う人はいないと思います。

 収納しているはずなのに、なんだか中途半端な感じ。お気に入りの場所がない。わたしはあの状態に戻りたくない!!結構衝撃を受けるので、片付け前に写真を撮ることはおすすめです(笑)さすがにやる気出ます。

 

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(画像はフリー素材より)

 

 いろんな本を読んで感化され、物を減らして減らして、引越し後もシンプリストになりたくて部屋のあちこちに意識を向けて暮らすうちに、「どこに何があるかちゃんと把握したい!」「予備を持ちすぎず、適量で、快適に暮らしたい!」「好きなものだけに囲まれて心地良い生活をしたい!」と思うようになりました。

 

 

参考になった本と感想Twitterにアップした画像と同じです)

  •  人生がときめく片づけの魔法(近藤麻理恵 著)
  •  捨てればいいってもんじゃない 暮らしと生き方を簡素化して人生が変わった僕のシンプリストライフ(エヌケン 著)
  •  フランス人は10着しか服を持たない(ジェニファー・L・スコット 著)
  •  1日1捨 ミニマルな暮らしが続く理由(すずひ 著)

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 ここからは服の話。そんなこんなで、今のわたしの服の判断基準はおおまかに以下のようになっています。

 

大掛かりな衣替えをしたくない

 コートとセーター類は今年からクリーニング屋に預けることにしました。クローゼットが空いた!これから冬が来るの嫌だな~と思うくらいには気持ちいいです(笑)

 引越しで衣装ケース(Mサイズ3つ+Lサイズ1つ)をすべて捨てました。基本的にはクローゼットでハンガーにかけています。クリーニング屋に預けていない冬服はスーツケースの中に入っているので、衣替えするときにTシャツと入れ替えます。

 

 

部屋着への降格させてなんとなく片付けた気にならないようにする

 「まだ着れる服」の取り扱いってホントに難しい!

 お出かけには着ていけない、スーパーやコンビニにもちょっと着て行きたくないかな、でも部屋ではまだ着たい!と思えるTシャツの多さ……。

 夏も終わったので毛羽立っている服は古布にしようと思います。古タオルも裁断していますが、古布はある程度ストック可としています。掃除や油物の片付けに最適。

 売るのもありですが、わたしの手持ちの着ない服たちって、だいたい売れるほど良い状態のものがないのです(笑)

 

 

何度も着たいと思う服を残す、買う

 極論、「今その服が手元からなくなったとして、もう一度買いたいか」「その服の好きなところを人に語れるか」です。

 わたしの今年の夏の観劇はだいたいいつも同じ服でした。これは、もちろん毎回変えることで気分が上がるんだ〜という人を否定するものではなく、現場服を買うのも楽しいですしね、わたしが着ていきたい服が限られているのでほぼ固定になっているだけです(笑)

 肌触りがサイコ~~~~なスカートを履いています。ペンシルスカートは似合わないと思っていたのですが、あまりに気に入ったので買いました。かわいい。わたしが似合うと思っているからいいのです。

 

 

 こうなると買い物もかなり慎重になります。

 よく洋服屋さんを回りながら「全然いいのに出会えないよ〜〜〜疲れた〜〜〜頭痛い……もうやだ……」となりがち。

 これは何が欲しいかが明確になっていないせいです。なんとなく"いい服"に出会って買いたいな、というくらいでお店を回るせい。あとお店をはしごしすぎると酔う。

 

 まだまだ服選びは修行中なのですが、自分の中でサイコー!と思える出来事が3つあったので、その話をしたいと思います。

 

 

友人の買い物に付き合った話

 もう、めっちゃめちゃ楽しかった!友人が現場服を求めて買い物に行くというので付いていきました。ま~~~服が似合うこと似合うこと。かわいい。一緒にいた友人も試着をして、みんな褒めあって(なにせ「買わせ屋」がいた)最高でした。友人は何着か服を買っていましたが、どれもバッチバチに似合う似合う!幸せそうに試着をしていてわたしも幸せだった~。

 

 わたしは何も購入しなかったのですが、「これ似合うと思うよ!この形!」「あ!この色似合うよ!(好きだけど似合わないと思っていた色を似合うと言ってもらえたので自信がついた。感謝)」と言ってもらえたことが嬉しくて心の中でにやにやしていました。顔に出ていなかった気がするな、ごめんなさい(笑)

 

 

友人と買い物に行った話

 V6のコンサートが迫っているのでね!!!(ムフフムフフ)

 わたしにV6を勧めてくれた友人とコンサートに行きます。旧知の間柄なのですが、その彼女と混んでいない時間帯を狙って行ってきました。満足のいく買い物ができて良かったです。自分が行かないお店も入れちゃうからたのしい。

 とあるお店で、「お部屋でるんるんで着たいなあ、そのまま寝てもいいなあ」と思えるものすごくかわいい厚手のワンピースを見つけたのですが、微妙にほつれやすいところを見つけて買うのをやめました。

 「100%愛せる服を買いたいのよ」と言うわたしに「もうyoutubeやりな!」と返してくれた友人のことも大好きだし、その気持ちで買い物に臨めた自分のことも大好きです。えへへ。

 

 

手縫いをした話

 色合いも生地もすごくすごく好きなのに、形がいまいち100%の気持ちで好きになれないノースリーブを持っていました。かなり大きく首回りが開いているので、重ね着をするといいのかもしれませんが胸元が見えてしまいそうな服。うっかりすると下品になるので難しいですよね、夏服...…。

 これは本当は古布にしようと思っていたのですが、待てよ!と閃いて、裾を縫いました。簡単エコバッグの出来上がりです。地道に往復して縫いました。

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 余談ですが、お裁縫は苦手です。高校の家庭科の授業で当時好きだった人に失笑されたことがあります。ゴメンネ……下手なの見せて……(笑)

 

 

 歳を重ねるということが、自分の好きなことを深く知ることや自分の機嫌をうまくとれるようになることとイコールだと信じているので、これからも暮らしを楽しみたいと思います!いろんなひととこういう話をしたいな~。たくさん刺激を受けたいのでよかったら聞かせてくださいね。